話せない人

場面緘黙症と情緒不安定な日々

僕の場面緘黙の半生

幼少期に緘黙を発症

場面緘黙は幼少期に発症することが多いらしく、自分の場合も3,4才で話せなくなっていた。緘黙になったきっかけは、はっきり覚えていない。ただ、保育園で自由時間に飛行機や戦車の絵を描きながら、ブーンとか、バーンとか、無意識に独り言をつぶやいていた。ふと我に返って、それが他人に聞かれたのではないかと思い、猛烈に恥ずかしくなったのを覚えている。これもひとつのきっかけだったのかもしれない。

自分は引っ込み思案な性格で、保育園で他の子と話す頻度は非常に少なく、年齢が上がるにつれて話すことが自分にとって特別なことになっていった。話さないのが普通で、自分がなにかを話せばみんなに驚かれ、注目されてしまう。話しにくい状況が続き、小学校2年生くらいになると、まったく話せなくなっていた。

長期化して緘黙が固定化

「話せない」ということは、緘黙でない人には理解しにくいことだと思う。この感覚を一般の人に当てはめると、キャラを演じてしまうことだろうか。新しい環境に入って、おもしろいキャラ、頭がいいキャラ、清楚なキャラ、様々なキャラを演じてしまって、それに縛られてしまうときの感覚。あるいは、新しい服や、髪型にして学校に行くときの不安感、これも少し似ている。

緘黙の場合、話すことによってそのキャラを壊すことができない。5年、10年と話せないでいると、完全にキャラが固定化してしまって、自分ではどうすることもできなくなってしまう。

大学で緘黙を克服できた?

自分の緘黙症状が治ったのは、大学に入学してからだった。最初の英語の講義で、テキストを読むように言われ、周りには高校の同級生も数人いたのに、音読することができた。まるで、当然話すだろうという数十人の視線と、話さないだろうという数人の視線とが、多数決を取るようにして、自分の行動が決定されているようだった。

その後は、話しかけられれば普通に返答ができるようになった。しかし、自分から話しかけることが難しく、友人もほとんど出来ずに大学を卒業してしまった。

卒業後、就職後も課題が残る

今は地元の工場で働いている。昼食を食べるとき、みんなが話していても、自分は黙っていて、話に加わることができない。もちろん話しかけられれば答えるが、それも最低限で、会話として続かない。

緘黙が治っても、後遺症として様々な問題が残っている。これをどのようにして解決していくのかが、今の課題になっている。