話せない人

場面緘黙症と情緒不安定な日々

会話の自由度を上げたい

会話が、全然続かない。そして、まったく楽しくない。

どうして、こんなに苦しくてつまらないのだろう? 話していて楽しいのは、家族とほんの一部の人だけだ。

自分の車で人を送るとき、iPhoneでいつも聞いているYMOをかけずに、ラジオにする。「車で音楽聴かないの?」と聞かれても、めんどくさいから「聴かない」と答える。ドライブの時にかける音楽は、何にすればいいんだろう。ダンスミュージック? JPOP? ノリの良い洋楽?

カラオケに行っても、自分で曲を選べない。「これなんか歌えるんじゃない?」と他人に選んでもらって、ようやく歌える。「しかもふ君、そんなの歌うんだー」と思われたくなくて、選べない。

ああ、そういえば絵を描くときもそうだった。模写はできるけど、自分で題材を選んで描くタイプの絵は描けなかった。

物静かな人間は、まじめで、人の悪口を言わなくて、頭がいい(少なくともベラベラ話す人よりは)と思われている。全然そんなことない。

ここさけのヒロインだって、性格そんなによくないし。そのことを批判するレビューをyahooで見かけて、「それはお前が勝手にしゃべらない子は可愛くて、清楚で、健気だと期待しただけだろうが!」とつっこみたくなった。

あるいは、自分が勝手に期待されてると思い込み過ぎてるのかもしれない。
真面目な自分を演じようとして、勝手に袋小路に入り込んでいるだけかもしれない。いつも自分の周りを、壁がぐるりと取り囲んでいるような閉塞感がある。でも、本当は壁なんてないのかもしれない。

本当の自分は、無知で不真面目で性格も悪い。人並みに変人だという自負もある。(隠しているけど、みんなそこそこ変人ですよね?) 

愛想笑いと「そうですね」を繰り返すだけで、自分のイメージは保たれるし、ものすごく嫌われることもない。自分の身はとても安全だけど、安全な場所にいる限りは、友達なんてできない気がする。

築き上げた壁と自分のイメージを、壊したい。「自分は無知で馬鹿で性格悪いです」と書かれた札をいつもおでこに貼っておいて、もう誰も自分に期待しなければいいのにと思っている。

なんでも知っているようなふりをして、人の言っていることを理解しているふりをして、常に完全であろうとすると、驚くほど話せる言葉が少なくなる。

駄目な人間になりたいわけじゃない。ただ、駄目な自分であっても認めてほしい。そして、本当に自分がくだらなくて、いい加減な人間であるかを知っている人の前でしか、まともに話すことが出来ない。