話せない人

場面緘黙症と情緒不安定な日々

哀しい話が好き

「しかもふ君はどんな映画が好きなの?

この手の「どんな○○が好き?」という質問をされると固まってしまう。他の緘黙症の人もこういった質問が苦手らしく、緘黙症には秘密主義的傾向があるような気がする。

人生を極めて消極的に生きてきたけれど、自分だって映画を見ないわけではないんだ。暇な時は大学の視聴覚室で「アイ・アム・サム」「アイロボット」「赤毛のアン」…というように、あ行から順に見ていったし、好きな映画もある。

明るく、楽しい映画もいいけれど、自分は登場人物の哀しさや寂しさが丁寧に描かれている話が好き。AKIRA七人の侍は、アクションの部分をフォーカスして語られるけど、自分は鉄雄がいじめられて泣いてるところを金田がなぐさめに行くシーンが好きだし、侍でも農民でもない菊千代の寂しさが好きだ。

「生れて、すみません」の太宰治も、人の卑屈さや哀しさを描くのがとってもうまい。

www.youtube.com

卑しい商人のユダと、純粋で美しいキリスト。
身分がそもそも違う。キリストを密かに愛している卑屈なユダにとても共感してしまう。

私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもお止しになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。

桃畠のあるユダの実家で、安楽に暮らしていく事を提案するユダ。それに対してキリストは、次のように言う。

「ペテロやシモンは漁人だ。美しい桃の畠も無い。ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」

海岸を歩きながら、そんなことをボソっと言うキリスト。これは好きになるのもしかたない。そして、そんな自分が最も愛している人、尊敬している人に、自分の存在や生まれてきたことすら全否定されてしまうユダ。

「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった」

電車の中でこの部分を読んでいて、ぽろぽろと泣いてしまった。
どうして、自分は哀しい話が好きなんだろう。なぜ、何度も何度も読み返してしまうのだろう。

鉄雄は体が肥大化した後ブラックホールに吸い込まれてしまうし、菊千代は撃たれて死ぬし、ユダは自殺してしまう。最終的にはなんの救いもない話なんだ。

自分は小さい頃、嫌なことがあると布団の中でよく泣いていた。
「生れて、すみません」じゃないけど、本当に自分は生まれてこない方がよかったんだ、そのほうがみんな幸せになれるんだと思っていた。

泣くことによって、気持ちがリセットできるし、泣かずにずっと耐え続けることの方が辛かった。人は哀しい気分の時は、明るい曲よりも、自分の気持ちとぴったりの哀しい曲を聞いたほうが、癒されるそうだ。

哀しい物語を求めてしまうのは、あまりに哀しいことが多すぎて、折れそうな心を癒やすためなのかもしれない。