話せない人

場面緘黙症と情緒不安定な日々

合理的配慮とスティグマの問題

「自分のことを情緒障害も含めて知ってもらいたい」
「でも、変なやつだと思われたくないし、過度に気を使われるのは嫌だ」

情緒障害のカミングアウトには、このようなジレンマがあります。そのため、身体障害などと比べても開示が難しいです。

まず、配慮を受けるためには、自分の障害を知ってもらう必要があります。しかし、障害名を開示することでスティグマ(負の烙印)を受けるのではないかという不安があるのです。

『合理的配慮 -- 対話を開く,対話が拓く』という本で、この配慮とスティグマの問題について少し触れられていました。そこで「合理的配慮」とは何か、どのようなスティグマの問題があるか、ということをまとめてみたいと思います。

合理的配慮 -- 対話を開く,対話が拓く

合理的配慮 -- 対話を開く,対話が拓く

合理的配慮とは?

近年、法整備により「合理的配慮」という新しい考え方が欧米から導入されました。事業者側が一方的に配慮の内容を決めるのではなく、障害者と事業者が互いに建設的対話を通じて、配慮の内容を決めていきましょう、というものです。

これにより、過度に気を使われたり、意向を無視した配慮も減るでしょう。個々のニーズが汲み取られ、より細やかに社会的障壁を除去し、社会に参加できるようになります。

「合理的配慮」は相補的

とはいえ、すべてを合理的配慮にすべきだ、というわけでもありません。合理的配慮は、これまでの配慮と相補的関係にあるからです。

例えば、不特定多数の障害者に対して、事前にスロープを用意しバリアフリー化を進めること。これは、事前的改善措置と呼ばれます。個別に、対話を通じて、事後的に配慮を行なう合理的配慮とは、異なります。

しかし、事前的に環境を整備・改善しておくことは必要です。そのような事前的改善措置として、何をすべきか。合理的配慮は、その共通理解を対話と実践を通じて醸成できる、という側面があります。

つまり、バリアフリー化と合理的配慮は社会的障壁を除去する「両輪」なのです。

過重負担にならない範囲

合理的配慮では、過重な負担を伴わない範囲の配慮を求めています。たしかに合理的配慮は、社会的障壁除去のために重要です。しかし、すべての要求に応えることは事業者にとって過重な負担になり、事業自体の存続が難しくなります。

「過重な負担」の範囲がどこまでか、というのは微妙な問題です。判断基準としては、①事業への影響の程度、②実現可能性、③費用・負担の程度、④事業規模、⑤財務状況などが考慮されるようです。

本質的能力で評価

合理的配慮は、本質的能力でその人を評価します。

しばしば、配慮は「特別扱い」だと思われることがあります。仮に試験の結果が合格点より低くても、障害を理由に合格となれば「ずるい」と思われても仕方ありません。しかし、合理的配慮では、このような配慮はされないようです。合理的配慮は「本質的能力」の評価を歪めるものであってはならないからです。

例えば、読み書き障害のある方に、音声読み上げソフトをインストールしたPCを用意すること。これは、合理的配慮です。なぜなら、音声の読み上げは、学力という本質的能力とは無関係だからです。

逆に言えば、本質的能力以外の配慮はするが、本質的能力では健常者と同じ土俵で勝負しなければならない、ということです。

配慮とスティグマ

上記のように、合理的配慮は障害者側の意向を尊重している点で、すばらしいものだと思います。
しかし、合理的配慮が「対話的」であるがゆえに、スティグマが付随する障害や、対話が苦手な緘黙症においては、配慮を受けることが難しくなります。

実際、精神障害者の多くは「障害を開示せずに、つまり事業主に必要な合理的配慮を申し出ることなく」就労しています。*1

「行使されるスティグマ」と「感受されるスティグマ

スティグマは、「行使されるスティグマ」と「感受されるスティグマ」に分けることができます。

障害のスティグマのために、実際に差別や否定的反応が態度や行動で示される「行使されるスティグマ」は、法的義務の明確化などである程度対処できます。
しかし、スティグマが行使されるかもしれないという恐怖心や障害に対する羞恥などを含む「感受されるスティグマ」は、個人的感情です。したがって、法整備や差別禁止などで、対処することが難しいです。

このように、法整備や合理的配慮を推し進めても、配慮が受けられないという問題があります。

同化と隔離を越えて

過去の障害を隠し一般社会と同化して生きるか、自分を理解してくれる場所で生きるか。この二者択一の問題を、働き始めてからよく考えるようになりました。

同化して生きれば、普通の人と同じ職場で働けます。自分のやりたい仕事に近づけます。でも、障害について相談できる人がいません。誰も理解してくれません。基本的に一人で戦うしかなくなります。最終的には社会にうまく適応できずに、脱落してしまうかもしれません。

障害を開示したまま一般社会で生きるということ、それはなかなか難しいです。合理的配慮とスティグマの問題も、基本的にはこれと同じ問題を取り扱っています。ですから、自分にはとても重要なことなのです。

今回は「このような問題がある」ということを示しただけで、問題解決にはなっていません。ですが、問題を共有して一緒に考えていけたらいいなと思います。

*1:川島聡、飯野由里子、西倉実季、星加良司(2016)『合理的配慮 -- 対話を開く,対話が拓く』有斐社 pp166